ちょっとした記念品を最後には捨てるのに、 貰うときに断れないのは何故なんだろう。
タイトルで言いたいことはほとんど言ってしまった.
旅に出ると,旅先でちょっとした記念品みたいなものを貰うことがある.典型的な例がSL列車に乗ったときで,乗車記念的なアイテムをくれる.だいたいポストカードより小さいくらいの乗車記念証,みたいなもので,気が利いたところだと栞として使えるようなサイズ感のものをくれる.
その瞬間は,「あ,ありがとうございます~」とか言って受け取る ──絶対に一音目には意味的には不要な「あ,」が入る── のだが,1秒後には「さて,これどうしたもんかな」と扱いに迷い始める.とりあえず表を見て,裏を見て,光に透かしてみたりして,上着のポケットやバックパックの特に使いみちがないポケットにしまってみる.
そして帰宅してもそのあたりのポケットを改めることがないので,いつか気づくまでそのままポケットの中に鎮座していることが非常に多い.
そうして忘れた頃に発見する記念品の扱いに困るのだ.
まず,存在を忘れている.そういや,こんなもの貰ったな,と.そして再び表を見て,裏を見て,今度は光に透かしてみたりはせずに,やはり扱いに困ってしまう.
子供の頃はこの手の記念品をポケットサイズのアルバムみたいなものに入れて,本棚に保管したりしていた.同じように無印良品あたりでファイルを買ってそこに保管してみようか?いや,でもこの手のものは保管していたとしても改めて見てみることもないんだよなあ,さて困った.
と一通り困って,とりあえず机の隅の方に置いてみたりする.扱いに困るものはとりあえず机に置く.部屋が汚くなる奴の典型的な行動だ.
机の隅に置かれたそれは,特に顧みられることもなく,ちょっとすると埃を被ってきたりして,掃除の邪魔にもなるしいよいよなんとかしないと,と思い立つ.
そうなる頃には貰ったときからだいぶ時間が経っていて,罪悪感も薄れてくるので結局それを捨てるのだ.
結局最後には捨てることになるのだから,最初から貰わなければ良い,それはそうなのだが,その場で「あ,いや,いらないです」と言うのも ──やはり絶対に一音目は「あ,」となるに違いない──,それはそれで心理的に負荷がかかる.
かと言って貰ってしまえば廃棄に踏み切るときに心にささやかな罪悪感が宿る.これも心理的な負荷になる.というわけで毎度この手の記念品に手を焼いている.
そういう意味では,この前貰った栞としても使えそうなサイズ感の記念証は気が利いていると思った.使いみちがあるのであれば,どうにかして生き残る道があろうというものだ.
ただ残念ながら自分は本を読む習慣がないので,やはり一定期間保管してゴミ箱行きとなった.やっぱり記念品に関わるとロクなことがない.