#07 物理的心理的マージンとその連環 | 根暗草子
Side. Physical
根暗陰キャの歩行は速い.自キャラの運転する車の速度がAIの標準的なそれより明らかに早いグランド・セフト・オートの如く,スイスイと他人を追い抜いて歩くのを好む.理由は分からないが根暗陰キャは歩くのが速いと相場が決まっている.
そんな根暗陰キャの歩行速度が著しく低下する場面がある.それは少し前方に知り合いだけど別にそこまで仲が良いわけではない人を発見したときだ.と,勿体ぶってはみたものの,日常で遭遇するそこまで仲が良い人などほぼいないので,知り合いが前方を歩いているときとおおよそ同義だ.
「あ,今追いついちゃうとエレベーターで一緒になるよな」とか,「確か帰る方向同じだからここで一緒になっちゃうと同じ電車になるな」とか考えながら,自分の再生速度の倍率をじわりじわりと落として,前方に広がるマージンを着実に確保する.
いくらコミュ障とは言えども,不意に遭遇してしまったら適当に雑談することくらいはできる.できるのだが,微妙な距離感の相手との雑談はこの世で最も負荷がかかる行為 ────いっそ初対面の人と話すほうが楽──── なので,できる限り距離を取る.
「根暗陰キャが歩くときに前を見据えているのは何故か」,答えは「前方にいる知り合いを検知するため」だ.歩きスマホをしてはいけないのは,知らない人とぶつかるからではない.知っている人と会ってしまうかもしれないからだ.
Side. Psychic
さて,そうした物理的マージン確保癖は今に始まったことではない.少なくとも高校生のときにはそうしていた.前方をチャリでチンタラ走る同級生を回避するためにわざと道路の反対側に渡ったりしていた.病的だ.
物理的なマージン確保癖は,そのまま心理的マージン確保癖につながる.心理的な距離の安全な詰め方というのは試行錯誤の結果であって,物理的に距離を取っているので心理的に試行錯誤する機会がないため,結果,とりあえず心理的にもマージンを確保するコミュ障が完成した.
心理的マージン確保癖のある根暗陰キャとしては,よかれと思って距離を詰められることに対する防御戦が日常になる.この前,全く手伝う義理も本当はない仕事を手伝ったとき,「今度お礼するから何か良いもの教えてよ」と言われたときの感想は「めんどくせー」だった.
こういうのは経験がいるのだ.相手のお礼をしたいという気持ちを満たすほどの水準の高さ,それでいて常識的かつ行きすぎない水準の低さ,これを同時に満たす最適解の導出 ────これを最適化計画の文脈で語るのがまさに「そういうところ」だ──── ,これを行えるほどの経験値は26年経った今でも溜まっていない.当然,「え,ああ,お礼されるほどのことしたつもりもないんで……」みたいなことを言って無事マージンを確保した.いや,関係性において「無事」なのかはわからないが,少なくともこちらの心理的安寧の観点では無事だった.
この経験値の低さ故,雑談が非常に苦手だ.雑談も経験値が求められるのだ.盛り上がる程度には踏み込んで,それでいて踏み込みすぎないレベル感の把握に.
流行りの「1on1」,弊社でもやっていて定期的に「1on1やるぞ」と言われるのだが,全く話したいことがない.普通は部下の側からあーだこーだ,雑談やら愚痴やらをぶちまける会になるらしいけれど,こちらとしては話したいことはないのであまり積極的に話を広げるわけでもなく,上司がなんとか話を引き出そうと投げかけてくる問いかけに,ただ答えるbotと化している.多分上司もやりにくいし,こちらは言うまでもなく苦痛なので誰も得していないのだが,誰だよ1on1の開催をKPIに組み込んだバカは.
連環
物理的なマージン確保癖は心理的な経験値の獲得機会を喪失させて心理的なマージン確保癖を生み出して,心理的なマージン確保癖により雑談を苦手にし,物理的なマージン確保癖を強化する.いい感じに残念な連環が形成されて,向かうところ終わりが見えない.