丘の上にひとり
明け方の北大通を白い息を吐きながら歩いて始発に乗って湿原を見に行った翌日は,鈍行列車に揺られて降りた何もない駅から歩くこと数十分,熊笹を掻き分けて登った丘の上にひとり立っていた.大したことはしていないのに,なんだろうこの達成感は.
割と幼い頃から一人で何かをするのが好きだった.より正確に言うと,自分でできることなら自分でやりたいと思っていたし,今でもそう思っている.
どうしようもないほど細かいことだけど最近気になっているのは,カフェやマクドナルドで退店するときに片付けしようとしていると店員がやってきて,「そのままでいいですよ後やっときますんで」みたいになる,アレだ.ご丁寧なことだし文句を言う筋合いではないのだが,違うのだ,ぼくはそれを自分でしたいんだ,と心のなかで思っている.
でもそんな一般的には突拍子もないことを言う勇気もないので,店員がいない隙をついて片付けるという退店スタイルに落ち着いている.
もし自分を客観的に見ることができるのならば,何があってそれを好むようになったのかは調べてみたいとさえ思う.
強いて思い当たる節があるとするならば,子供の頃母親に言われた「最後に信用できるのは自分だけ」という言葉がトラウマのように染み付いている可能性はある──そもそも,これを小学生くらいの子供に言った母親もそれはそれで何らかトラウマ持ちなのではという気もするのだが──.
ただ一方で,そんな母親の言葉を発展的に咀嚼したのか自分すらあまり信用していないわけで,何故信用できない自分が一人でやることにこだわるのか,というのは,まあ大きな疑問だ.
そんな矛盾を抱えながら生きていくのも慣れてしまえばどうということはないし,なかなかどうして一人旅と相性が良い.
北国の未開の原野を掻き分けて丘の上に立つ今,ひょっとしたらヒグマに遭遇して食い殺される危険さえあるのは恐ろしいが,そうして死ぬならそれもまた本望なんだろうとも思う.それは自分の作為の結果だから.