Cinematic Yokohama #03: 狂想
2020年11月・12月,2021年1月は狂ったように横浜に行った.
あまり大っぴらにはなっていなかったのだが,土曜日や年始に20時から5分間だけ花火を打ち上げる催しが繰り返されていて,横浜も花火も大好きな身としては,これは行かないわけにはいかないわけで.しかも横浜で花火を撮れるのは例年だと年に数回しかチャンスがなくて,そのうえ天気の都合で撮れないこともあるけど,気候が比較的安定した冬に日を変えて何度も花火をやるということは,それだけ色々なアングルを試せるということでもある.
ある日は臨港パークで,次はみなとみらいを眼科に見下ろすホテルの高層階から,あるいは海を挟んだ埠頭から.今後数年かけて花火大会を追い続けないと消化できないと思っていたスポットをわずか1ヶ月強の間に次々と制覇していくことができる,まさに棚ぼた.一度一度はすごく短時間だけど場所を変え画角を変え上から下から花火を撮り続けた冬になった.
花火の打ち上げを待つ時間は,考え事するのにちょうど良い.でもそんなに高尚なことを考えられる脳みそもないので「やっぱ横浜いいなー」とずっと考えていただけで.
折しもアパートの更新の時期が近づいていたところだったので──今から家探しするのも面倒なので更新するのは決めていたのだが──,再び横浜に住む未来を少しだけ夢想してみたりもした.
就職とともに横浜を出て,通勤を考えると横浜に再び住むのは現実的ではなく頭の片隅にもなかったのだけれど,いかんせんテレワークが当然のようになって週に1回しか出社しない日が続くと,なんだこれなら横浜にも住めるじゃん,なんて悪魔の囁きがどこからともなく飛んでくる.
ただ,感染症対策のテレワークは感染症克服後の世界でどういう位置づけになるのか,今ひとつ確信が持てなくて.コロナが流行る前から「VUCA」がバズワードになっていたが,遠い未来のAIが広まった世界の不確実性より,コロナ禍収束後のテレワークの不確実性のほうがよほど問題だ,家選び的には.
実際のところ,仮にコロナのコの字が出なくなるほどに完膚なきまでに平穏が戻ってきても,テレワークは残ってもらわないと困るのだ.何故なら毎日出社するなんて今更耐えられるわけないから.去年の自分はどうやって毎日出社してたのか,今となっては思い出せないし信じることさえできない.多分何かの間違いだったんだろうと思う.
ということは,である.近未来に「毎日出社しろ」と言われたら耐えられないので多分会社をやめるだろう.そうすればテレワークができる会社に転職するか,横浜にオフィスがある会社に転職するか,あるいは世捨て人になればいいわけだから,どう転がっても横浜に住んでも何ら困らない,ということになるはずなのだ.
……みたいなことを考えながら花火の打ち上げを待っている.
実際のところそんなに物事は単純じゃないし,それこそ世界がどう転がっていくかわからないから確かなことはなにもないのだけれど.
そしてそれ以上に気になるのは,実際のところ横浜にまた住むことになったら気の持ちようとしてどうなるんだろうか,ということ.いま再び横浜を狂ったように想うのが,実は手が届かないからという理由であるならば,横浜に住んだときの横浜は,いまの自分にとっての荻窪で,なんてことのない普通の街になってしまうのだ.
だったらば,横浜でないどこかに住み続けながら「横浜に住みたい」と安全圏から言い続けて想い続けて,月に1回くらい横浜に行くほうが幸せなんじゃないか,むしろそれが自分の望みなんじゃないか,とか考えてみたりもする.