Bluelight Sonata

2020-11-16

帰れない秋

At the Sarubo viewpoint, Toro, Hokkaido.

10月の終わり,小春日和の羽田空港から1時間半ほど飛んで降り立った釧路空港から外に出た瞬間,「さむっ」と呟いた.それは北海道に着くたびに,どんな季節でも繰り返す儀礼でもある.


北海道の秋は短い.一般的な印象とは異なって昼間は普通に暑い8月を過ぎ,9月に入り中下旬から秋めいたかと思えば,10月には雪虫が飛んで,そして11月には冬が来る.

北海道に住んでいた頃,秋をどう捉えていたかと言うと,1つの季節というよりは冬のプロローグとしての感が強かった.カラマツが黄色に染まって,ああ秋が来たのかと思えば初雪が舞い冬がやってくる.日常の中のそれは一瞬のように過ぎていく.季節というより,冬の前の慌ただしい一つの期間として過ぎ去っていくものだった.

その占める割合から言って,北海道の秋は“行こうと思って”行かなければ巡り合わないものになる.何も考えずに北海道に行くと,それはだいたいハイシーズンとされる夏か,一年の半分弱を占める冬か,そのどちらかになる.北海道を離れて8年目,帰省の回数はようやく片手では数えられないくらいになったが,それでもこの北国の短い秋に帰省をしたことはない.実に8年振りの北国の秋,ということになる.

こうして,道内だが実家から遠く離れた地に東京から直接向かったのは,帰省が憚られたからに他ならない.もし万が一にもコロナ感染のトリガーを引くことになったらば,村八分にはされないだろうけど,村六分くらいにはされる,そんな気がする.

まあでも,それはそれで良かった.そうでもなければ実家から遠く離れた大湿原に来ることもなかったし,北国の短い秋の美しさを感じることもなかった,だろうと思う.

今回はじめて,秋を季節の間の揺蕩いではなく静止点として眺めて,ああこんなにも北国の短い秋は綺麗だったのか,と.早朝の白い息も,薄っすらと降りた霜も,陽だまりに舞う雪虫さえも.そして何より冬を目の前にしたくすんだ世界が良い.

これが,今は帰れないあの場所だったらば.あの場所は8年経った今でも日常の延長線上にあるもので,そこで雪虫に秋の美を見出すことはなかっただろう.日常の中ではそれはただの汚らしいアブラムシでしかないのだ.