500円硬貨防御進化論
2月,河津桜と梅を見に行った.両方を見て気付いたのは,自分はどちらかというと梅のほうが好きなんじゃないかという事実だ.だから,その翌週は梅を見に行くことにした.
ちょうど梅の見頃を迎えていたのは亀戸天神.荻窪から見れば都心を挟んで反対側で遠いので,なかなか行く機会がない.4年くらい前に一時期この辺りで仕事をしたことがあり,少し懐かしく感じる.
亀戸天神が祀るのは菅原道真.学問の神だ.折しも妹の受験が翌日に控えている……が,決して神頼みではない.私は神というものを信じていないからだ.存在もロジックも分からないものに縋り,学問の神と祀り上げて頼るのは科学的な態度ではなく学問の対極にあると言えるだろう.
でもせっかくなのでお参りはしておいた.
梅も見た.信じてないけど神頼みもした.じゃあ,帰ろう.地図を開く.「亀戸天神」だが亀戸駅より錦糸町駅のほうが近いんじゃないか?「錦糸町天神」に改名したほうが良いと思う.
亀戸天神から錦糸町駅に向かって歩くと,「ここを通り抜けてください」と言わんばかりのモールがあるので,吸い込まれるようにしてモールに入る.前もここに吸い込まれた気がする.RPGだったら強制イベントが発生するような感じだ.
モールを歩いていたら地下にゲーセンがあるのに気づいた.前に来たときにもこのゲーセンはあっただろうか.多分,あったのだろうが気づいていない.特に急ぐわけでもないのでゲーセンにも入ってみることにした.
ゲーセンというのはすごい.どうせ景品取れてもコスパは悪いか,そもそも取れても後で景品の処分に困るばかりだというのは頭ではわかっているのだが,ついつい入ってしまう.そういう中毒性がある.現に今日もこうしてゲーセンにフラッと立ち寄っている.そしてちょっと何か遊んじゃおうかな,と思っている自分がいる.
そうしてまんまとゲーセンの罠に嵌っている自分だが,絶対に守ろうと思っているルールがある.それは「Suicaで支払いはしない」というその1点だ.「ゲーセンでSuicaを使えるようにした」のは悪魔の発明だと思う.せめて現金であれば,現金なら両替する時にふと我に返ることができるのだが,Suicaにはそういう瞬間はない.ただ魂が抜かれた顔をしてタッチし続けるだけで支払いを続けることができる.
以前,Suicaの残高をゲーセンで結構溶かしてしまったのだが,当日はそんなに散財した実感はなく,月末にSuicaの履歴を見て強烈に印字された「物販」の連続に度肝を抜かれた.そのショック以来,絶対にSuicaでゲーセンの支払いはしないと決めている.
だから両替機に行く.「結局金落とすんじゃん」というのはその通り.でも2回も3回も両替機に行ったら,多分そこでブレーキを踏めるから良いのだ.今日は500円だけ遊んでいくことにしようか,と,ちょうど財布に入っていた500円玉を両替機に入れる.
すると,500円玉は戻ってきた.
???なんだろ?また500円を入れる.返ってくる.たまたま何かの拍子に受け付けなかったという感じではない.何かがおかしいのだろうか.戻ってきた500円玉を見てみたら,新500円だった.
新500円!初めて見た.しばらく前に「新500円玉流通開始します」というようなニュースを見たのだが,実際にお目にかかるのは初めてだ.調べたら流通開始したのはもう2年強も前らしい.それでも2年以上,手元に新500円玉がやってくることはなかった.日頃は現金支払をあまりしないので,こういうタイミングでしか中々お目にかかることはない.
で,落ち着いたところで両替機を見たら「新500円玉には対応していません」とあった.そんなバカな.もう市中に出回って2年も経っているんだぞ.そろそろ対応していて然るべきなんじゃないか?散々「新500円初めて見た!」とはしゃいだ身で言うのもなんだが,言うほど「新」か?もう入社3年目くらいの年になる硬貨じゃん.中堅だよ中堅.
財布に入っている硬貨は,新500円玉1枚だけだった.1000円札はあったのだが,両替はしないことにした.「500円だけ遊んでいく」という気持ちだったからだ.今1000円両替したら,多分1000円使ってしまう.そういう心の弱さが,自分にはある.
かくして新500円玉のお陰で500円無駄にせずにすんだとも言える.そう考えると新硬貨ってある種の「防御進化」と言えなくもないな.